フォト日記(2016年4月) | |||
4月29日 ここ2,3日お天気もよく 気温も上がって あちこちの畑で農家さんの春耕が始まっていました なのに・・・ 今朝は雪!! 積雪は朝だけですぐに溶けましたが 一日中みぞれが降り 気温も3度までしか上がらず寒い一日でした 明日も雪マークがあり まだ寒そうです あさってからは徐々に気温も上がるようですが 桜の開花もちょっと足踏みでしょうか 写真は今朝のとぅもろう前 2枚目に写っている家は27日にとぅもろうの隣にオープンした 「小さなパン店 リッカロッカ」です 節子 |
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4月25日 おとといの朝だったでしょうか ウグイスのきれいな声で目が覚めました 今年初めて聞くウグイスの声 春だなぁと実感しました 春 そしてウグイスといえば思い浮かぶのは 「早春賦」という歌です ♪春は名のみの風の寒さや 谷のウグイス歌は思えど 時にあらずと声もたてず 時にあらずと声もたてず♪ それから他にもたくさん春の歌がありますね 私が好きなのは「おぼろ月夜」 ♪菜の花畑に 入日薄れ見わたす山の端 霞ふかし 春風そよふく 空を見れば夕月かかりて にほひ淡し ...♪ そして有名な「春の小川」 ♪春の小川はさらさら行くよ 岸のすみれや れんげの花に すがたやさしく 色うつくしく 咲けよ咲けよと ささやきながら♪ 歌の中には春の風景が色鮮やかに描かれていますが でもその多くはもう失われてしましました まだそう遠くない私の父母の幼いころには残っていた自然の姿です 今回熊本 そして大分で大きな地震がありました まだ大きな余震も続いていて みなさん不安な日々を過ごされていることと思います 美しい姿を見せてくれる一方で 大きな災害をもたらす自然… そのたびに私たちは大きな大きな自然の中で生きているのだと思い知らされますが 1日も早く余震が収束してくれますようにと祈るばかりです そして避けられない自然災害ならば 起きてしまったときにどう助け合うことができるのか また起きる前に被害を少しでも小さくする手だてを講じることができるのか 行政機関にはもっともっと迅速に対応してほしいですし 私たちも常日頃から考えていかなければならないことだと思いました 本当にいつどこで起きてもおかしくない地震です 健康な大人でも住む家を失うことは大変なことなのに 小さなお子さん ご高齢の方 ご病気の方は本当に大変な思いをされていることでしょう 必要な物資 夜落ち着いて暖かく眠れる場所が1日も早く準備できることを 願っています 写真はとぅもろうの食堂前の小さな花壇 野草や春先に咲く花を中心に植えています 福寿草 カタクリ ギョウジャニンニク 水仙 サフラン… もう少しするとスズランも顔を出します 札幌では桜が開花したとのこと 平年より8日早い開花とのことです 美瑛の桜も早めかもしれませんね 節子 |
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4月8日 昨夜から降っていた雨がいったん上がって 3時ごろまた降りだしました 何となく虹が見られそうな気配…と思っていましたら やはり見事な春の虹が… ちょうどお隣の畑の畦から見ると 美馬牛小学校の上にかかっていました 真冬に比べると随分と日が伸び 3時でも太陽の位置はまだ高く そのぶん虹は低く 端から端までカメラに収めることができました 今週は一年の大仕事 味噌作りに明け暮れました 毎年今の時期 宿仲間と共同で味噌作りをしています 今年は10軒で協力して3日かけて作りました 1年に一度のことなので細かいことなど忘れているので ああでもないこうでもないと言いながら賑やかに作業は進み あとは体力勝負! 味噌作りと合わせて蒸豆作りもしているので 茹でたり 蒸したりした大量の豆を持ち上げたり運んだり・・・ 材料だけで 米50キロ 大豆50キロ 蒸豆用の豆 70キロ近く… 麹も手作りなので これもまた力仕事 腰が痛い 肩が痛いと言いながらも でも楽しい3日間でした 味噌作りが終わり 一段落… 6月に梅干しを漬けると「今年も何があっても大丈夫」という気がして ほっとするのです 写真3〜5枚目は4日のもの まだちょっと畑に雪が残っていましたが 今はその雪もほとんどなくなりました 節子 |
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4月3日 写真1番上はちょうど10日前クリスマスツリーの木 まだまだ冬の雰囲気が残っていましたが 1週間ほど美瑛を離れて おととい帰ってきてみると ずいぶん雪解けが進んでいました(2〜4枚目) 道路脇にはフキノトウが顔を出し 庭でもクロッカスの蕾が開き始めたり 水仙の芽が伸びてきたりして春の訪れを感じます 今年は2016年 私たち家族が美瑛に転居したのが1991年ですから ちょうど4半世紀 25年が経ちました 25年前の4月2日の深夜 東京港を出港する船の中に私たちはいました 誰も知った人のいない美瑛 1度しか行ったことのない美瑛 決まっているのは小さな古い借家だけ… ただ山の見えるところで田舎暮らしがしたいというだけで 家族5人 先のまったく見えない船出でした たぶん親以上に子どもたちの不安は大きかったのではないかと 今頃になって思います 船がボーと汽笛を鳴らし暗い海に進んでいく中 見送りに来てくれた夫の職場の方たちが声を合わせて 「元気でねー」と叫んでくれた声が聞こえました 私たちはこれからどこへ行こうとしているのだろう?と ただただ茫然としてその声を聞いていたことを思い出します 移り住んで2年後に縁あって今の場所にとぅもろうを開くことができました 何もわからずにやってきた私たちを受け入れてくれ 何かと心配してくれた美馬牛の方がたには本当に感謝の気持ちでいっぱいです そしてこの25年間 とぅもろうを訪れてくださったお客様 なかには何度もいらしてくださったお客様もたくさんいらっしゃいます 大勢の方たちに支えられてこの25年が過ごせたのだなぁと 心からお礼を申し上げます 25年前小学2年生だった娘の子がこの春美馬牛小学校の1年生になります 25年 あっという間に過ぎたような気がしていましたが 一日一日が確かにあり いろんな出来事も数えきれないほどあり そして今があるんだなぁとしみじみ思う25年目の春です 節子 |
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